2005/09/05(月) リンバで霊を呼ぶ—ブギリ  

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その日の夕方、ムゼー=バランガティの子どもたちによるグループが演奏してくれました。上は女性による太鼓の演奏・ムヘメです(タンザニアでは女の人がたたくのは珍しい)。

ブギリ村に引っ越したきのうの夜、身内に問題をかかえている、という年配の女性が付き添いとともに、ムゼー=バランガティの家にやってきました。近くにあるチャムウィノ村からきたそうです。彼女達はしばらく家族とおしゃべりをしていましたが、8時をまわったころ、ムゼーや息子のムサフィリらがリンバを出して弾き始めました。

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音を使ってシェタニ(霊)を呼び寄せる儀礼・ムヘポの始まりです。
演奏が始まってほどなくして、座り込んだままのチャムイノ村の女性・ベイスのまわりは、イリンバ(大型のリンバ)奏者3人と、金属製のカヤンバ奏者が2人によって取り囲まれました。

ゴゴ民族のリンバの調律は5音階(かつては4音階だった)で、しかも、倍音をもとにした音の並び・倍音列にそったものなので、基本になっている音程が延々と聞こえる(ドローン)。
そもそも本体にあけた穴にブイブイ(蜘蛛の卵膜)を張るなどのサワリの工夫により、倍音が大きくでるように作られた楽器なので、その効果はますます大きくなる。しかも3台も同時に演奏するのですから、誰も弾いていない音まで耳に入ってきます。
一つ一つの音程感をはっきり出して美しいハーモニーを響かせやすいように倍音を控えめにする方向へ発達してきたヨーロッパの多くの生楽器と異なる点です(エレキギターなどで、エフェクターを使って音を歪ませるのは、その方向性に対して翻された反旗といえる)。

ゲデで聴いた金物・デベや、ムビラの伴奏に使われる振り物・ホショのように、カヤンバはなまったリズムを刻んでいます。なんというか、その、親指と人差し指でペンをはさんで揺らすと、まっすぐのはずのペンが曲がって見えるでしょう?そんな感じでグニャっとしたリズム。角が見当たりません。

音の渦。
民族楽器を語るときに、マスコミなどによって安易に使われすぎて手垢にまみれてしまった感のある「癒し」などという言葉では表せない、「気味悪さ」を兼ね備えた楽器たちなのです。
演奏者は延々と繰り返す歌をはさんだり、音量に変化をつけたり、立ったり座ったり移動したりしています。これらは人の正気を奪う役割も果たしているでしょう。
100メートルくらい離れたところからこの合奏を聴いたら、すさまじい音のうねりがよりはっきりと聞こえました。

その中心にいるベイスは座ったまま、肩を揺らしはじめ、しだいにそれは上半身全体にひろがってきました。「シェタニがとりついた」(ムサフィリ)そうです。どこを見ているのかわからないような目つきになっている。

だいたい1時間ほど演奏すると3分ほどの小休止をするのですが、そのあいだも彼女は、けいれんした動作をくり返すのみ。「ヘッ、ハッ、ヘッ、ハッ」という声にならない音を口からもらしています。

テレビや映画などだったら、ここで演奏者には神妙な顔つきで見守ってほしいところですが、シェタニをつれてくる乗り物(音)の運転手(演奏者)でしかない彼らは調律を直したり、冗談を言ってわらいあったりしている。
そのギャップ。

演奏はそんな小休止をはさみながら、4時間ほど続きました。だんだん演奏もけいれんもエスカレートして、そして峠を越えた。
日付の変わるころ、ベイスの動きがゆるやかになってきて、まわりの人とおしゃべりをするようになると終了しました。シェタニはしかるべきところに帰っていったのでしょう。
ベイスは問題解決のための糸口を見つけたのでしょうか。

シェタニを呼ぶ音を出せて、この儀礼・ムヘポをできる人は、別の村で太鼓を使っている人とこのムゼー=バランガティしかいないそうで、要請を受けてときどき開くそうです。

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白くはっきりと流れる天の川の下で、予想以上のものを体験したぼくは、少しこの旅の終わりを意識しはじめています。
リンバを合奏してくれる人、いませんか?

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