2005/08/20(土) リンバの巨匠・ザウォセ—バガモヨ

この旅のベースキャンプと化しているバガモヨには、以前も書きましたがリンバの師、故・フクウェ=ウビ=ザウォセの家族によるグループ・ “ chibite ” が住んでいます。フクウェはタンザニア内陸のドドマ(名目上の首都)近くにある村・ブギリ出身で、ゴゴ民族の音楽家です。その才を「建国の父」と言われた独立後初の大統領・ジュリアス=ニエレレに認められ、国立歌舞団の主席としてダルエスサラーム(事実上の首都)に迎えられました。
100を超える民族を抱える国の国立の楽団ですから、ゴゴ語によるゴゴ民族の音楽を演奏する以外にも、他民族出身の演奏家と共に各地の音楽を研究して、パン=タンザニア的な演目やスワヒリ語(公用語)による歌詞を歌うことも多くなります。
その後ダルエスサラームの北にあるバガモヨに国立歌舞団を再編成して芸術大学が建てられるとそこの教授となりました。
そして同僚の音楽家・ディクソン=ムクワマやルベレジェ=チウテと共に日本を含めた世界各地で公演します。リンバやゼゼ(擦弦楽器)を踊りながら演奏し、「七色の声」とまで賞賛された歌声を響かせる。観客を飽きさせないためのステージングにもすぐれ、一つの全盛期を築きました。

ディクソンとルベレジェの死後は家族によるグループを「さあ行こう」という意味のゴゴ語で「chibite」と名づけ、その育成に力を注ぎます。世界的なワールドミュージックフェスティバルに数多く出演し、ピーター=ガブリエルやマイケル=ブルックらとのセッションも好評を博しました。

ぼくは19歳のときに民族音楽全集モノのCDの中でイゼゼ(大型のゼゼ)を弾き語っていた彼の演奏を聞いたのが最初でした。
99年バガモヨに彼を訪ねた時、いきなり日本語で「ドモドモ アリガトゴザイマス」と言われた時には面食らいましたが快く弟子入りを許してくれました。コンサートがないときは、庭にあった大きなマンゴーの木の下で楽器を作ることに時間を費やしていました。
食事の際も傍らにおいてあったリンバや出来たての曲を歌う姿が深く印象に残っています。
自宅で週2回行われるchibiteのリハーサルではサングラス越しに監督し、ときにげきを飛ばす。
その指導は演奏や歌、踊りはもとより、よりよいショーを見せるための立ち位置や表情にも及ぶ厳しいものでした。

chibiteにとって親であり、教師、精神的なよりどころであったフクウェが2003年に没し、さらに翌年には甥のチャールズ(chibite の中心メンバーの一人)が公演先のスウェーデンで亡くなりました。
ゴゴ民族の音楽には「ゴンゴーラ」といって、即興で歌うパートがあるのですが、最近ではフクウェやチャールズのことがしばしば歌いこまれます(出来事を歌にするというメディアとしての伝統音楽の役割がアフリカでは多く見られます)。
ゴゴ=ランドに住まないゴゴ民族という特殊性を偉大な先人たちが残したものと共にどのように生かしていくのか、見守っていきたいと思います。

※姓の概念がないこの地では自分の名に次いで父の名を名乗るのが一般的です。
  フクウェ=ウビ=ザウォセ
 お父さんがウビさんです。この一族は名前の最後に “ zawose ” とつけています。ゴゴ語で「みんなの」という意味で音楽を生業にする彼らの称号のようなものでしょう。

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chibiteの演目の一つ・オーケストラ
jata tours が受け入れるオルタナティブ ツアー用に行われたchibiteの公演より。

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chibiteのスターたち。
左がアンドレア、右がルーカス

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8/18の夜、子供たちが寝静まった頃を見計らって、chibiteの現地録音が腕利きの日本人録音技師・土方さんの手で行われました。
インターネット上で有料にて曲をダウンロードできるようにして、利益を還元する試みです。
スポンサーの懐具合の都合でchibiteの音源は少人数のものが多いのですが、今回は現地録音なので最大26人のメンバーによる演奏が聞けることになります。しかもほとんどが新曲です。
秋にはフクウェの長女・ターブ=フクウェ=ザウォセの来日が決定しています。
数ヶ所でぼくも共演する予定。こちらもお楽しみに!
どちらも詳細は後日お伝えします。

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