2011/03/25(金) アフリカ・ツアーその11 最後の夜
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日本人メンバーは、在ジンバブエ日本大使公邸に招かれ、昼食会。
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドでたびたび顔合わせるメンバーながら、この面子ですき焼きを頂くのは初めてであった。
先日会ったアメリカ人、クリスが関わっている郊外の村へ連れて行ってもらった。
この旅はじめての村だ。
丘の上に円形の小屋が並び、その前ではオカアチャンたちが料理をしている。
ガリカイ師匠が大きな石の上に座っている。
ツーリストと思われる白人たちが多くいてムビラを弾いているところをみると、ここはムビラ道場のようなものだろう。
生徒のひとりが「あなたのファンだ」と言ってきたので、たまげた。
親指ピアノの世界は狭い。
せっかくなのであちこち歩き回った。
洗濯中のオカアチャン。
日本で生まれ育ったものにとって、たらいに長時間手をつっこむときはしゃがみ込む姿勢をとるのが自然だ。
しかし、少なくとも私がブラック・アフリカで会ったオカアは全員、膝を伸ばして長時間作業をしている。
地面に座るときは、膝を前に伸ばす。
我々ならば、体育座りをするか、後ろに手をついてしまうところだ。
こういうちょっとした所作の違いがおもしろい。
井戸から水をくんで運ぶオカアと娘。
この大きさのバケツになみなみと入っているので15キロ以上ある。
背スジを伸ばして、重心の真上に頭をもってこないとなかなか真似できない。
広大な景色の中に集落を見つけて、ドカドカ音楽が聞こえるので近づいて行くと、バーがあり、地元のどぶろく・チブクを回し飲みしていた。
回ってきたチブクを飲んだ。
2002年に飲んだチブクと比べ、それは壮絶にまずかった。
ニコニコと眺めていたオジイが「腹の調子に気をつけろ」と言った。
ドカドカ鳴っている音楽は、トーマス・マップフーモの古い録音。
スピーカーの能力に対してデカ過ぎるアンプの出力がいい具合に歪んだ音を再生している。
ニコラ・プロをこの道に引きずり込んだ思い出の曲であるらしく、彼はニコニコと感じ入っている。
クリスの村では、ダンス・ワークショップに飛び入りで参加させてもらい、汗を流した。
この村に来て以来、ずっと行方も知れず、ひとり楽しく歩き回っていたナオミ・マネも合流し、ハラレに戻った。
全員で夕食をとりながら、綿密な打ち合わせ。
追加公演の会場は、ゆったりとした椅子のある狭めのハコである。
12日の公演とは違うものも見せたいということで、前半はそれぞれのソロを中心に、後半はアコースティックにまったりとやろう、と方針だけたてた。
マサトさんは、ドラム・セットではなく、手配人ナオミの手によって調達されたカラバシュ(半分に切った大型のひょうたん:マリのポップスでよく使われてますね)を演奏することになった。
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午前中は、地元の雑誌の取材を全員で受ける。
昼からは、追加公演の会場、アリアンス・フランセスにてリハーサル。
マサトさんは、慣れないカラバシュに苦戦している様子だ。
ジンバブエの有名曲「ネマムササ」は演奏したいけれど、歌い手のチウォニソがいない、ということで、ピーターが妊婦の女性ボーカルをナンパしてきている。
ホテルに戻って休んでから再び、楽屋入りする。
エリックが、どこからか連れてきたアニキに髪をいじらせている。
ゆるんだドレッドを捻り直しているのだ。
ドレッド化計画に失敗した私は、自分を納得させる意味もあって、アニキに「この髪の毛でもドレッドできる?」と訊いた。
アニキはこともなく、「できるよ」と言った。
なんてこった。もう時間がないではないか。
悔しさだけが残ったドレッド化計画であった。
本番は、チャンさんのチャンゴの「ド」トラディショナル・ソロから始まった。
やんややんやの喝采である。
みんな、そういうのも観たかったんだもの。
前半は打ち合わせ通り、割とまったりとであったが、後半は全員が相当に熱くなった。
キック・ドラム的な音色をカラバシュで出そうとするマサトさんは手が痛そうだが、窓際不正疑惑の容疑者であるから、まあ当然の報いだろう。
「アフロビート音頭」で日本大使夫人が立ち上がってノリノリの揉み手を打ち始めた。
それに触発されたか、まわりのお客さんもどんどん盛り上がって、ステージに熱をぶつけてくる。
こちらもその期待に答えて、さらに加熱し、打ち返す。
ゲスト・ボーカリストを迎えての「ネマムササ」で公演を締めくくった。
ビールがうまい。ワインがうまい。
打ち上げをゆっくり楽しんだ。
最後の夜だ。
深夜に全員がマネンバーグへ繰り出す。
ジンバブエのナイスなレゲエ・バンドが演奏していた。
「あとで、マネンバーグで会いましょ♥」と(きっと私だけに)言っていた、スペイン大使館勤務のカワイコちゃんを探すも、いない。
来るのが遅すぎた。
しかしながら、いい音楽なので白ワインを飲みながら、そして激しく踊りながら、最後まで観戦。
最後の夜だ。
ピーター、エリック、マサトさんと四人でさらにクラブをハシゴしてまわる。
最後に行ったったクラブではあんまりおもしろくないヌルい音楽を演奏していた。
そのあと、よく覚えていない。
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早朝移動。
ピーターとマサトさんはさきほどまで大フィーバーしていたらしい。
たいしたもんだ。
いよいよ「さらば、アフリカ」である。
慣れた手つきでクルマに荷を積み込んで空港へ出発。
市場の前を通るとき、マサトさんは「ジンバブエのマンゴー、うまかったなー。」と言った。
私が黙って腕を出すと、シュシュが黙って両手で絞る。
「日本産のマンゴー・ジュースじゃだめかしら?」
フランス在住チームと我々はジョハネスバーグの空港までフライトを共にし、そこで静かに別れた。
トランジットの際、「起訴しないかわりに、進行方向に対して左側の窓際を寄越せ」とニコラ・プロを厳密に脅した私は、まんまと希望通りの席を手にいれた。
雲の上から夕陽をたっぷり鑑賞して、この旅を終えた。