2011/02/28(月) アフリカ・ツアーその3 膝ガクガク・ダンス
出発の朝。総勢11人分の荷物を積み込むだけで一苦労。
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早朝。
ジョハネスバーグの宿の前で荷物を積んでいる我々は、あすの夕方にはタンザニアのダルエスサラームにいることになっている。
ただし、今夜、モザンビークに国境を接するスワジランドで公演をしてからの話である。
しかも、タンザニアへ飛ぶために再びジョハネスバーグの空港に戻ってこねばならぬ。
ジョハネスバーグとスワジランドのンババネ間は陸路で往復する。
「いきなり国名地名を言われてもわからん」という諸氏は地図帳を開いて確認されたし。
いったり来たり移動距離は相当なものだ。
タイトなスケジュールの始まりだ。
クルマは郊外に出るまでは渋滞に巻き込まれたりしていたが、やがて高速道路を快調に飛ばしはじめた。
車内にはオリバー・ムトゥクジの曲がガンガンにかかっている。
隣国ジンバブエのスターだが、アフリカ中で絶大な人気を誇るミュージシャンだ。
日本のワールド・ファンの間でも、トーマス・マプフーモと並びよく知られている。
エリックがノリにノって聞き惚れている。
車窓を、黒人居住区と思しき街が通りすぎた。
バラックが密集して並び、狭い路地に張られたロープには原色の洗濯物がはためく。
それをかいくぐるように人々が歩いている。
電線も張られているので、電気は通じているらしい。停電は多そうだが。
昨夜ライブをした界隈とはまるで違う世界だ。
アパルトヘイト時代、有色人種を隔離するために作られたこのようなタウンシップはあちこちにある。
広大な緑の地平をまっすぐの道が二分している。
なかなか気分がいい。
しかし、それに慣れてくると日本の緑に慣れている身としては、「緑が薄い」とどうしても感じてしまう。
大量の雨が降り夏には高温になる日本の緑の濃さには、世界に誇るべきバランスがあると思っているがそれが破壊され続けている現実をアフリカの地で思う。
薄い緑の平原の彼方に、遠近法を無視したような巨大な建造物群が見える。
原子力発電所らしい。
煙突のようなものが見え、ヤマちゃんとふたり、「あれは温泉である」と言い出し、「南半球の温泉マークは上下がひっくり返っている」などとやっているうちに国境についた。
陸路の国境越えはなかなか趣きがある。
またいで記念写真を撮りたくなるような、明確な「国境の線」というものには出会ったことがない。
荷物チェックをしている間にそのへんにひいてあった駐車用の白線を差して、カメラの伊藤嬢に「これが国境の線だよ。」と言った。
「へえ、さすが国境はどことなく違いますねー」とやさしい伊藤嬢はボケて返す。
国境を越えると山岳地帯に入った。
きれいな景色に見とれていると、今夜の会場House on Fireにつく。
広大な土地の中にレストランやバー、インターネットカフェ、宿泊施設、半野外のコンサートホールなどが並んでいる。
うれしい歓迎だ。
セッティングをしているとエリックがむやみに深刻そうな顔をして何事か訴えかけてきた。
ふたりで親指ピアノを弾く、「浜へ」という私の曲の調律についてである。
エリックが弾く親指ピアノも私が調律していたのだが、調律済の楽器の各キーをチューニング・メーターで図ってみたらしい。
「君がCと言っているはずのキーなのに、メーターはGを指している。なぜだ。」
と不必要に悲しみをたたえた目でこちらをうかがってくる。
サワリの音が強い親指ピアノは基音以外にもいろいろな音程が同時にたっぷり鳴っている。
メーターがいろんな倍音に反応しているだけだった。
「こん楽器はメーターでは測りづらかで、自分で調律すったれば耳で合わした方がヨカ」と鹿児島アクセントで助言した。
メーターなどもっていなければ自らバッチリ調律できるはずなのに、ギターをメーターで調律することに慣れてしまった現代カメルーン人ならではの、かわいいズッコケだった。
ライブ会場。
定刻より、かなりおして開演。
「お客さんは少ないけど最高のパフォーマンスを見せよう」と一丸となって演奏していると、曲が進むにつれどんどんどんどん人が入ってくる。
後半はフロアが人で埋め尽くされている。
この出足の遅さに驚いた。
客層の大半は白人。
レストランの料理の値段、入場料などから判断すると、黒人の入場者は、金銭的に成功していてライブの好きな人か、お金はないけどよっぽど好きな人に限定されてしまうのだろう。
私はこのバンドの全曲で親指ピアノを弾くわけではない。
鳴りものをもってコーラスのみという曲も少なからずある。
電化した親指ピアノを弾いているときはケーブルの長さを半径とした円を出ることは出来ないが、鳴りものをもった私はノーリード、放飼い状態である。
リンバ・トレイン・サウンド・システムではあり得ないこの状況は実に新鮮で、ダンサーとしての自己を開放しつつある。
ピーターが歌う曲"Pa Le Choi"の後半では親指ピアノを放りだし、自らが開発した「膝ガクガク・ダンス」をすることを課していたのだが、この夜はしつこかった。
その場で100m全力疾走するほどの体力を使うのだが、客席の盛り上がりをいいことに、誰も次のパートへ移行してくれないのだ。
「このパートが終わるまではずーっとガクガク・ダンス」と決めている私は永遠にガクガクしていなければならない。
ここまで引きずったこのパートを終えるには、私が何かをしてみせるしかなくなった。
500mほどガクガクしたところで、私はあえて仰向けにひっくりかえりその場でガクガクし、さらにバタッと息絶えてみせた。
すると、次のエンディング・パートへ曲が展開し私は生き返ることができたのだった。
終演後にエリックが、あいかわらずむやみに深刻そうな顔でのたまった。
「あれはよかった。毎回やってくれないか。冗談じゃなくてホントに。我々のショーにとって重要なんだ。」
このあとのツアー中、私は毎回ステージで500m全力疾走をすることになる。
終演後はDJが盛大にフロアを盛り上げている。
定評ある南アフリカのハウスDJが出張してきているのだろう。
踊りながら、ステージ上の機材を撤収していると、フロアで踊っていた女子が叫んだ。
「あなたは、アタシと踊らなければならない!」
助動詞"must"を使用した、教科書的表現にひるみ、しばらく「膝ガクガク・ダンス」をつきあった。
クルマに荷を積んでいると、今到着したらしいお客さんが訊いてきた。
「ライブはもう終わっちゃったのかい?」
どこまで出足が遅いんだ。
いざクルマに乗り込むとき、まだまだ踊りたりないピーターは不平をもらした。
「移動→リハ→本番の繰り返しじゃあエンジョイしている暇がないぜ、まったく。」
とはいえ我々は数時間後には起床し、さらなる移動に備えねばならぬのだ。
あしたは国境を二つ越える。