2011/03/08(火) アフリカ・ツアーその10 ドレッド化計画
●2/13●
チウォニソは、USツアーのためひとり旅立つ。
昨夜は皆ずいぶん遅くまで会場で飲んだ。
自宅にいったん戻る彼女とはホテルのフロントでお別れしたが、その後ちゃんと起きてフライトに間に合ったのだろうか?
早起きはしたくないのだが、きょうから4日間、メンバー全員、自費でバカンスである。
高い割には設備がガタガタなホテルを出て、安く快適な宿を探さねばならない。
とりあえずチェックアウトして、ロビーに我々の全荷物が置かれた。
ヤマちゃんが作った、黄緑のストラップの木琴ケースが目立つ。
2月1日、木琴の入った台形の箱を背負い、ジェンベや鳴りものの入った大箱をカートに積んで、集合場所の関西空港に現れたヤマちゃんの姿を忘れない。
空港で大きな荷物を持つ人は別に珍しくないが、人間がひとりずつ入れそうな大箱二つに挟まれたまま、少しずつ前進する彼は、巨大な昆虫のようで人目を惹いた。
「ちょっとお兄ちゃん、写真撮ってもええか?」と聴いてくるオカーチャンもいたほどである。
右手前にあるのは私の親指ピアノ専用ケースだ。
預け荷物の重量の問題は大きい。
いままでの海外公演では、私は自分の超過分を荷物の少ないバンド・メンバーに持ってもらっていた。
しかし今回は全員が大荷物だ。
ヤマちゃんと私は新年の空き日のほとんどを、楽器や機材を入れるための軽くて丈夫なケース作りに費やしたと言っても過言ではない。
お陰でプラスチック段ボールの接着技術に関しては、ふたりとも一家言もっている。
「飛行機会社の手荒い扱いにも耐え、よくここまでがんばってくれた、あと少し、日本まで持ちこたえておくれ。」と頭をなでてやりたい。
ナオミ・マネが探し出して来た宿は、それまでの宿の半値以下にもかかわらず、広くで設備もよく、ロケーションも素晴らしかった。
もともとマンションだったのだろう、寝室や台所までついている。
私はきのう密かに購入していたカスク・ワイン(3リットル)を広いリビングに置き、再び同室になったチャンちゃんと乾杯してウフフと笑った。
気がつくとニコラ・プロも横にいてワインを手にウフフと笑った。
さらにマサトさんまで出現してワインを手にウフフと笑った。
4人で不気味にウフフウフフとやってバカンス気分に浸っている。
ムビラの師匠、ガリカイ・ティリコーティ氏に電話すると、ちょうど街に用事もあったらしくホテルの前まで会いに着てくれた。
ショナ語を話すアメリカ人・クリス氏と、噂で名前は知っていたムビラ名人、フォワード・クェンダ氏も一緒だ。
ガリカイ師匠は2002年にヤマちゃんに紹介してもらった人物なので、もちろん彼も知っているし、ニコラ・プロも自宅に遊びにいったことがあるのだ。
ガリカイ師は、再会をとてもよろこんでくれた。
日本に移住した彼の息子、トンデライ・ティリコーティの話題を中心に話をした。
クリスはハラレの郊外でショナ民族の音楽と暮らしを広くしってもらうためのプロジェクトをいろいろと展開しているらしい。
夕食は大学後輩夫婦に、郊外の中華料理屋に連れて行ってもらった。
ジンバブエ人の給仕が、「ピータン豆腐はありません」などと言っている。
注文した料理のどれもがとてもおいしかった。
●2/14●
12日の演奏がたいへん好評だったのでひょっとしたらあるかも、と言われていた追加公演が2/16に決定した。
ありがたいことだ。
チウォニソは、案の定乗り遅れたらしいが別の便でアメリカへ向けて旅立ったので、我々は7人でやれる新たなショーを考えなければならない。
チャンさんはタンザニアにいるときから、ドレッドにしたいとよく言っていた。
バリバリの韓国古典も演奏する若手トップ奏者が、ドレッドを振り回してチャンゴを打つ姿は想像するだけで痛快だ。
強情な天然パーマを逆手にとった今の髪型も悪くないが、私も「アフリカにいるうちに一度くらいドレッドにしてみたい」と思っていた。
チャンさんは日本語で「きょうドレッドにしないと、ダメですね。」と言った。
私は「きょうはドレッド日和です。」と正しい日本語で返した。
我々はホテル内で出会うメンバーごとに「俺たち、ドレッドにしてくるけんね。」「止めんなよ。」と言いながら、勇壮と出かけて行った。
通りで見かけた、ナイスなドレッド姉さんに「それどこの店でやったの?」と訊き、教えてもらった店に入る。
ストレート・パーマをかけてもらっている客や、エクステンションの客が多い。
「俺たち、ドレッドにしたいんだけど、やってもらえるかい?」と訪ねると、店員は黙って私の髪を少しつまんで静かに「無理」と言った。
「全日本天然パーマを迫害から守る会」の会長を務める私の髪ですら「やわらかすぎる」のだそうだ。
シャンプーのコマーシャルに出演できそうなストレート・ヘアの持ち主、チャンさんなどは見るからに「もってのほか」らしい。
日本人や韓国人の髪をドレッドにすることに慣れている店がジンバブエにある訳がないが、きっと技術をもつ人はいるはずだ。
実際、アフリカでドレッドにした日本人に私は会ったことがある。
あらたに路上調査をし「ドレッドならここ!」と紹介された場所へ行った。
ドレッドにしている客もいる。
できるかも!?
高鳴る二人の期待。
私の髪を触る店員。
「うーん。あっちの彼の髪は見ただけで不可能ってわかるけど、これだったらなあ・・・。」
意気消沈するチャンさんをよそに、薄情は私は「俺だけでも」と祈る。
しばらく髪をいじりまわして彼は「これドレッドにできるかあ?」と店の奥に声をかけた。
すると、「ドレッドのことなら、なんなりとお任せを!」という顔(私にはそう見える)の男が現れた。
彼は私の髪を触わるやいなや「あきまへん」と言った。
英熟語 as soon as の例文として使えそうな早さだった。
夕刻から追加公演に向けた打ち合わせをやることになっている。
これから新しい店を探したところでもう間に合わない。
チャン・ジェヒョ&サカキマンゴー・ドレッド化計画は頓挫した。