2011/03/01(火) アフリカ・ツアーその4 窓側不正疑惑

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ダル・エス・サラームのホテルの宿より。

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スワジランドのンババネのホテルで仮眠程度の休みをとったあと、再び移動開始。
あいかわらずのオリバー・ムトゥクジの歌声のほかは、元気いっぱいにしゃべるンダナのふたりの声しかしない。
早寝早起きの太陽のお子たちは、南半球の作物の出来不出来について清く正しく議論を深めていたような気がするが、残りの9人はほぼ仮死状態で運ばれて行く。
南ア国境で売られていたトウモロコシの蒸しパン(主食のパップではない)のようなスナックを朝食がわりに食べたが、それがおいしかったという程度の記憶しかない。

ジョハネスバーグの空港で手荷物の中のペンチが見つかり、没収されてしまった。
ゆうべ踊りながらの撤収の際、預け荷物の中に入れておくのを忘れていたのである。
「楽器の調律に使うんです。これがないと仕事に差し支えます。」とダメモトでだだをこねるも、女優レネー・ゼルウィガー似の係官は「そうだとしても、このサイズとペンチとしての機能があるからダメよ。」と返してくれない。
「じゃあ壊してください。」
「(ペンチを手で分解するふりをして)壊れないわ。」
不毛なやりとりに時間をかけていると、ニコラ・プロの青筋が浮いて来ているのに気づき、愛用のペンチに別れを告げその場を離れた。
いざ搭乗というときにチウォニソがいない、という事件も起こった。
ニコラの額が青筋ネットで覆われてしまう前に、コンタクトレンズのケア用品を買っていた彼女が戻って来てことなきを得た。
幼稚園児9名を引率するに等しいニコラとナオミの苦労はたいへんである。

このツアー中、我々は何度も飛行機に乗る。
遠慮することなく席を立ちやすい通路側か、外が見やすく自分の空間も確保しやすい窓側か、で意見が分かれるところだが、遠慮もなにもない我々は皆窓側に座りたがる。
ところが、乗り継ぎを含めた日本からの二度のフライトで窓側座席をほしいままにしていマサト氏が、またしても窓側に当選していたのである。
ここは公正にいこうと、氏が席につく前に私が窓際に着席すると、こともあろうに氏は「ビール1本な」と窓側着席権と引き換えに金品を要求してくる。
マサト氏が窓側に当選するよう、水面下で不正が行われているのではないかと疑い、私は「窓側不正疑惑究明プロジェクトチーム」をヤマちゃんと立ち上げた。
・・・幼稚園児9名を引率するニコラとナオミの苦労がしのばれる。

タンザニアのダル・エス・サラームに着陸したのは日暮れのころ。
私にとっては、関空の次に通い慣れた空港と言っていい。
いきなりネットリと暑い。
迎えのクルマでホテルへ移動していると、皆の目つきがギラギラしてくる。
30人ほども人間を詰め込んだハイエースがクラクションを鳴らしながら走っている。
「アフリカだ!」「マンゴー王国だ!」とナオミ・マネは言った。

その夜は各自でバラバラに食事をしたが、日曜ということもあり他に手頃な店があいていなかったため、ほぼ全員が深夜営業のクラブの前に構える屋台に自然に集まってきた。
一国の最大の街であるというのにすばらしい偶然である。
ムシカキ(串焼き肉)とチプシ(チップス、フライド・ポテト)を混ぜ込んだ、なんともジャンクなオムレツをつまみに盛大にビールを飲んだ。
エリックやシュシュは併設のよろず屋の主人にタバコの銘柄について質問している。
このツアーが、アフリカを旅行するアフリカ人を身内として観察するめったにない機会であることに気がついた。
言葉があまり通じない国を旅する平均的ジャパニであれば「もういいや」とあきらめるようなポイントでも、このカメルーン・タッグは「こっちとそっち、どっちがキツい?」などとしつこく私と似たようなたどたどしい英語でやっていておもしろい。

その後はクラブになだれこみ、よく飲みよく踊った。

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二日連続の寝不足状態のままさらに移動し、イスラムの島・ザンジバル島にやってきた。
迷路のような世界遺産ストーン・タウンの中をうろうろ見物し、夜はフォロダニ市場でロブスターの串焼きを喰らう。
公の場所ではビールが売られていないので、ホテル屋上のバーで夜風に吹かれながら、ニコラ、ナオミ、チャンさんと乾杯した。

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ダウ船。

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携帯を見ながら歩く人はどこの国でも見かけます。

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