2011/02/27(日) アフリカ・ツアーその2 揉み手コンガ交換条約
ジョハネスバーグ公演会場MOYOの入り口にあったライブ告知。チケットは完売!
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リハーサルに出かけるため、宿の前でクルマを待っていると、昨夜遅くに到着したらしいチウォニソが現れた。
飛行機に乗り遅れたのは飲み過ぎが原因らしいが、わるびれた様子もなく、かわいらしい。
あすの公演に向けたきょうのリハーサルは、本番会場で行うことができる。
住む国がバラバラなため、定期的なリハーサルを行うことができない我々にとってたいへんありがたい。
会場への移動中、そのダイナマイト・バディで野郎どもの視線を欲しいままにしている現地プロモーターのケリーちゃんに、ワールドカップ時の興味深い裏話など聞く。
ふと、「そこの丘の上の方、すぐそこにネルソン・マンデラさんのご自宅があるのよ」と彼女が指差した。
会場のMOYOは、ジョハネスバーグの市街地にあった。
「アフリカ」と聴いて想像するのとはまるで違う、西洋風に整備されたきれいな街だ。
私は14年前にアフリカを旅したときに、この街の郊外でヒッチハイクをしクルマを拾ったことがあるが、市街地は危険と聞いて立ち入らなかったので、初めての街といってもいい。
オープン・テラスでお茶をしているのは、パリッとしたスーツを来たビジネスマンが多い。
黒人も白人も半々。
もとからこの地に住む黒人もいれば、南ア中、アフリカ中から集まって来た人もいる。
最近までは北隣のジンバブエから多くの人が仕事を求めて移住してきていた。
白人はオランダ系入植者の子孫のアフリカーナーのほか、各国から移住している人も多いと聞く。ケリー・ザ・ダイナマイトもエジプトからの移住者だ。
14年前の南アの旅で、クルマに乗せてもらったり家に泊めてもらったりするなど、お世話になった人々のうち、白人の大半はマンデラさんの悪口ばかりいい、黒人はすべてマンデラさんを神のようにあがめていた。
アパルトヘイト時には黒人専用車だった、3等列車に乗って移動していたときには、相席していた黒人と白人がペンの貸し借りというささいなことで喧嘩をし、二言目には「だいたいお前らホワイティーは!」だの「このクソ・ニガー!」だのと怒鳴っていた。とめに入ると「イエロー、君はどっちの見方なんだ」と、何事も肌の色にからめてきたものだった。
"black"と"white"をそれぞれ英和辞書で引いて色以外にどんな意味が伴っているかを知ると、悲しい歴史が浮かびあがる。
公用語だけでも11あり、あすの客層が多民族であることは間違いない。
宿の従業員アグネスに即席で教わったツワナ語でステージからひとこと挨拶しようかと思っていたが、「なぜツワナ語なのか?」と不公平に感じるお客さんもいるかもしれない、などといろいろ考えてしまう。
セッティング中。
リハーサルでは、ナオミ・マネージャーの頭頂部ではなく腕が光った。
8人のミュージシャンや現場のエンジニアをしっかりと仕切り、やれ「キックが聴こえない」だの「ギターをもっとくれ」だの音上げ合戦になりかねないモニターまわりを、各メンバーの要望を聞いて最善の形にもっていく手腕はプロフェッショナルのものである。
ちなみにナオミの名を男性につけるのはフランスでは珍しく、天啓を受けた母親が故・植村直己からとって名付けたのだとか。
業界内でメールのやり取りをすると女性と相手が勘違いしてくれ、アポをとりやすいという得もあるらしい。
会ってびっくり「なんやオトコやんけ」である。
リハの合間、待ち時間にフランス語で談笑するアフリカン・チーム。左からエリック、ピーター、シュシュ。遠くにはSukiafricaの音源をイヤホンで聴き曲を覚え直すチウォニソが。
夕方、チャンさん(右)からヤマちゃん(左)へ衣装のプレゼントがあった。
「何となくエスニック」ないつものンダナの衣装よりこっちの方がパリっと新鮮なので激賞した。
そのあと、アフリカン・チームとンダナ、伊藤嬢、ナオミ・マネは、プレトリアに住むシュシュのお姉さんの家へ出かけた。
残ったチャンさんとニコラと私は飲みながら、昨年夏からの課題「ンダナの曲をSukiafricaのステージで披露する件」について議論する。
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ジョハネスバーグ公演当日の早朝、すっきりと晴れ上がった。
ヤマちゃんは「南半球では、太陽は西から昇って東に・・・」とカメラの伊藤嬢をからかっている。
「ふーん、やっぱりそうなんですねー」と、早くも役割を意識した伊藤嬢はあえてボケで応対している。
チャンさんとエリックはスワジランドのビザ取得のためプレトリアへ出かけて行った。
日本国籍、フランス国籍、アメリカ国籍などをもつ他のメンバーは必要がない。
彼らといると一緒にギャーギャーやっているだけなので普段は感じないが、こういうときに国籍の違いを感じる。
昼前、ンダナ、ピーター、シュシュが私たちの部屋に集まり、昨夜の作戦を実行に移す。
ンダナの持ち曲、マサト・ボーカルの「江州音頭」をいかにこのバンドで演奏するか。
リズムはマサトさんの提案でフェラ・クティが開発したアフロビートに決定。
我々Sukiafricaのメンバーはアレンジの方向性をリアル・アフリカンなものにもっていきがちであるが、その流れ上ヤマちゃんのコンガが派手に鳴ると、韓国の太鼓、チャンゴの入る余地がなくなる。
普通にアフロビートっぽくするのではなく、チャンゴが鳴る方がおもしろそう。
涙をのんで、ヤマちゃんに「コンガ禁止令」出し、フロントに出て揉み手の手拍子を打ちながら囃子に徹してはどうかと進言する。
ヤマちゃんがフロントに出るとなると、その横にリード・ボーカルのマサトさんがいたほうが、見た目がよい。
しかしドラマーであるマサトさんがセンターへ出るとドラムレスのアフロビートになってしまう。
どうするか?
!
このバンドにはもうひとりドラマーがいた。
ボーカリスト・エリックはドラマーでもある!
彼にドラムを担当してもらい、チウォニソにはクラーベを打ってもらう。
コンガが抜けた音域をチャンさんの肉感的なチャンゴが派手にカバーする。
ビザを手に戻って来たチャンさんやエリックに伝えると、みな乗り気になった。
このウルトラCというべき、素晴らしいアイディアに基づく各ポジション間の取引は「ジョハネスバーグ揉み手コンガ交換条約」として後世に語り継がれることだろう。
興奮したヤマちゃんは「南半球では、ドラム・セットの配置は右左逆になるんだよ」とカメラの伊藤嬢に言わなかった。
移動中、エジプト国旗を振り回して走るクルマが追い抜いて行った。
民主化運動が高まっている。
ジョハネスバーグの空港でフライト・スケジュールを見ると、カイロ発着便の多くが「キャンセル」と表示されていたことを思い出す。
その夜、Sukiafrica初のアフリカ公演が炸裂した。
中盤では、エリックがドラムにまわり、ジャパニ3人がフロントに出、「アフロビート音頭」がお披露目された。
踊るマサトに満場のお客が喝采を送る。
ヤマちゃんがリードする揉み手拍子が客席に伝播する。
朝の打ち合わせとサウンド・チェック時の簡単な音だし練習のみでこのクオリティー。
私は親指ピアノを弾き「はあ、どーした!」と囃しながら、芸達者な素晴らしいメンバーたちに感動していた。
最後の曲、チウォニソが歌う「ネマムササ」はジンバブエの有名曲だ。
MOYOの従業員たちの多くはジンバブエからの移民であるらしい。
粋な店主の許可を得たのか、白い制服の彼らが隊列を組んでステップを踏みながらフロアに躍り出てきた。
Viva Jo'burg!
アフリカ・ツアーが始まった。