2008/03/31(月) ありがとうソングが気持ち悪い

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大阪の自宅付近で桜が見ごろを迎えています。

ポップスの業界では、この時期を前に、「出会いと別れ」をテーマにした歌が次々に発売されていますが、ここ数年、「ありがとう」「ありがとう」とのべつ歌いまくる曲が多くて気持ち悪く思っています。

はじめに言っておきますが、この項は「ありがとう」を使うな、と訴えているのではありません。
この言葉自体は素敵な言葉だし、日常的によく使う。
これからもぼくも含めて使っていくと思います。
誰も文句をつけられるようなものではないと思いますが、表現者たちが安易に乱発することに嫌悪感を覚えているのです。
だいぶ昔に、「癒し」という言葉の乱発に対して思ったのと同じように気味が悪い。

96年から97年にかけて中国の上海から南アフリカのケープタウンまであちこちを旅したときに、アジアやアフリカのいろんな言葉でいう「ありがとう」を覚えました。
しかし、スワヒリ語の「アサンテ」を始め、あいさつ言葉で感謝の気持ちを表現された記憶はほとんどありません。
逆に「なんでそんなに『ありがとう』を連発するのだ?」と訊かれるほどです。
もっている人がもっていない人に施すのが当然とされている国で、そのような言葉はめったに使う必要がないのだ、と今では思っています。
さらに勘ぐって言えば、「ありがとう」という言葉が頻繁に使われる国では、何かしてもらったことに対して口先のあいさつ言葉だけで帳消しにしようとしているのでしょうか?

それは置いておいて、日本では「ありがとう」という言葉のかわりに、本来謝罪に使われるべき「すいません」という言葉の方がよく使われていると思います。
長くそんな表現が流行ったからこそ、今ストレートに「ありがとう」なのでしょうか?

社会に対してとがった言葉で真実を突くべき、ヒップホップやパンクのアーティストたちまで口をそろえて「ありがとう」「ありがとう」「言えなかった言葉」「ありがとう」「キミにありがとう」「おかあさんありがとう」。
学校の音楽の教科書で使われることをねらっているのでしょうか?
そのうちPTA的「いい子ちゃん」推進ソングだらけになってしまいそうで恐ろしい。
空虚すぎる。

「ありがとう」という符丁を使わずに、自分の言葉で感謝の気持ちを表現できるなら、そっちの方がよっぽど価値がある。
「愛してる」を言わないラブソングのように。

きのうは、売り出し中のボーカル・ユニットが近所の駅前で歌っていました。
「次は新曲を聴いてください。『ありがとう』。」

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