2007/09/09(日) 8月の大移動
携帯にこんな写真が残っていた。覚えていないんだけど、撮影日時から判断すると高知ライブのおり楽屋から撮影したものだろう。
ロンドン帰国後すぐ東京銀座のコーヒー・ショップでライブ。
会場入りするなり、お店のスタッフの方に学生時代にぼくがやったスワヒリ語劇のときの写真を見せられ、ひっくりかえりました。
なんと先輩でした。
ライブを見るために来たわけではない一般のお客さんも少なくないなかで、リフレインを軸に地味に盛り上げていくソロ・ライブ。
気分的にむずかしい部分があるのですが、関東でのライブでよく見かけるたくさんの顔にも助けられ集中でき楽しく演奏できました。
ライブのあと、そのまま楽器や機材を積んだクルマを運転して大阪へ。
お盆の帰省渋滞の中、通常6〜7時間のところ14時間もかかり翌日昼過ぎに帰宅できました。
時差ボケのままだったので夜通し運転できたのでしょう。
昼たっぷり寝て、夜にはふたたび運転して鹿児島の実家へ。
鹿児島弁にスイッチを切り替え、小学校の同級生やその子ども(小学生・ぼくのファン)、いとこらとのんびりすごす。
お盆も終わり帰阪した翌日は高知へ。
画家のシーノ・タカヒデさんやそのケニア仲間の林さんが企画してくれたソロ・ライブに出演。
先日の銀座に来てくれた知り合いがなぜかここにもいて3センチほど飛び上がりました。
彼女の実家が高知で、フライヤーを見つけて驚いて来たとのこと。
すばらしい偶然です。
ライブには熱い人たちがいっぱい来てくれて盛り上がりました。
翌日の予定を考えて、打ち上げは早々に切り上げて帰阪する計画だったのですが、ずらっとならんだ魚介類と熱血高知人たちの顔を見て予定を変更し一泊することに。
同じ黒潮沿いの町、鹿児島と共通する名物も多い(カツオなど)のですが、食べ方が違っていておもしろい。
それにしてもヤロウもムスメもみんな方言ムキダシでとても気持ちがいい。
鹿児島から大阪に移り住んだころ、あまりにも鹿児島弁が通じないので、「これはもう別の言語だ」とわりきって大阪弁を勉強したことを思い出しました。
翌朝は大阪でバンド・メンバーを拾って、そのまま大分へ。
国東半島の海に突き出したキャンプ場でのお祭りに出演。
トリのGANGA ZUNBAに参加しているブラジルのマルコス・スザーノが繰り出すフレーズにメロメロになりました。
イベント終了の翌日、誰もいない海にひとり入りました。
海ではあおむけで浮かんで、ぼーっと空を眺めるのが一番。
今年泳ぐのは5月の川以来だなあ。
と思っているとクラゲに2箇所さされました。
月末は富山県の南砺市で開かれたスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドへ。
3日間のすてきなお祭りに今年も出場です。
一年ぶりのスタッフのみんなのほか、昨年セッションした、カメルーンのエリク・アリアーナ(フランス在)らに会って近況報告。
前夜祭と親指ピアノ作りワークショップ、ライブのほかは時間的余裕が去年以上にあったので、世界中日本中のあちこちから集まったミュージシャンたちの演奏を楽しむことができました。
韓国のis(アイエス)は初来日。
カヤグムやヘグムなど弦楽器の演奏と3つ子ならではの息のあったコーラス・ワーク、さらにその美貌で観客をノックアウトしていました。
エピゾ・バングーラ(ギニア)もよかった。
ワウ・エフェクターがピック・アップをつけたコラ(弦楽器)によく効いています。
国内の出演者もおもしろい。
祭りが生んだスキヤキ・スティール・オーケストラ(スティール・パン)、サラマレクム!(チャンゴ)、 サバール(セネガルの太鼓)のグゥイギ、などなどは富山勢。
今や地元の小学校にスティール・パン・オーケストラやサバール・チームが出来るほどの影響力をもっていて、演奏も大迫力です。
高い演奏力とシュールに笑わせる演出が同居しているザッハトルテや、久しぶりに会ったヤマザキヤマトくんの熱いステージングには大きな刺激を受けました。
サカキマンゴー&Limba Train Sound Systemは最終日のメイン・ステージにサポートに北海道からN'DANAを迎えて登場。
日本最強のパーカッション・ユニットの援護射撃でバンドの音はより熱くなり、あえて一曲挟んだ完全ソロ演奏も映えました。
今年のエリクは、ポリフォニックなボーカル&コーラスの混ぜ具合が凄みをまして、楽しいステージを見せてくれました。
彼とはいつかなにか一緒にやってみたいと思っています。