2007/08/31(金) ロンドンへ行っておりました
WOMADの会場より。
ご無沙汰しております。
この夏も旅行ばかりして結局ほとんど自宅で寝ておりませんでした。
7月下旬、95歳の新妻を見送ってからは10日強ほど、イギリスへ行ってきました。
ワールド・ミュージックのフェス、WOMADには最終日にギリギリ間に合いました。
前日の大雨のため、草地の会場は田んぼのようになってしまい、ほとんどの観客は雨靴をはいてくるぶしまで泥に埋まりながら踊っています。
会場内に出店している店が商機を逃すなと、すかさず長靴を仕入れたたのでしょう。
夏場とはいえ思ったよりも寒くて上着が手放せません。
大小さまざまなステージでそれぞれ昼から夜までプログラムが組まれているので、ある程度狙いを定めて見に行かねばなりません。
日本公演を見逃していたグナワ・ディフージョンのライブがあるということで楽しみにしていたのですが、なんとキャンセル。
その時間に別のステージで行われたChota Divana(インドのラジャスターンからやってきたグループ)のライブを見たのですが、これがよかった。
先日大阪での公演を見たムサフィールのような編成ですが、歌い手がほとんど子どもという、見た目に驚き、そんなこととは関係なしに揺り動かす腕と連動する迫力のあるコブシに魅了されました。
「オー!あんな子どもが!」という観客の声が歓声をいつもより大きくさせていました。
NYのアフロビート・グループ、アンティバラスの新譜ではクールで音響派的な、ある意味、アフロビートの範疇を超えようとしているかのような音でした。
その反面、ライブはゴリゴリで熱く盛り上がっていましたよ。
ぼくもビールを片手に泥に埋まった長靴の中でもぞもぞとステップを踏んで踊り続けました。
終演後、深く埋まってしまった長靴から靴下を履いた足のみが抜けてバランスを崩したまま転んでしまった人が、泥だらけになってで叫んでいます。
そんなこともすべてふくめて非日常を楽しんでいる感じがとてもいい。
そのほか、インドはパンジャブ地方の両面太鼓、ドールを打ち込みのトラックとギター&ベースなどとあわせた、ドール・ファウンデーション(UK)や、アルバムよりもシンプルな編成で大ステージに現れながらも客席を沸かせたティナリウェン(マリ)、ウードの音色を最大限に尊重しておそろしいほど息のあったインプロを聞かせてくれたLe Trio Joubran(パレスチナ)など、気持ちのいいライブを一日の間に何本も見てしまったので頭が少しパンクしてしまいました。
それにしても、一日目と二日目にあったバルカン・ビート・ボックスやDJシャンテル、エイジアン・ダブ・ファウンデーションに、ダーラJなどなど、数々の気になる人々を見られなかったのが残念。
ロンドン市内では、大英博物館の近くに住む友人、ジョン・シンプソン氏のやっかいになりました。
タンザニアの至宝故・フクウェ・ザウォセが亡くなってから、その遺族からなるグループチビテのその後を追うドキュメンタリー映画を撮影した人物で若干23歳。
今年2月にタンザニアのザンジバル島で知り合い、ザウォセの日本人弟子のひとりとしてぼくも取材を受けました。
今回の訪英のそもそものきっかけは、この映画の公開に合わせたチビテのUKツアーの同行を彼に誘われたことにあります。
WOMADでの彼らのショーには間に合いませんでしたが、ロンドン市内のクラブやホールで行われた公演は見ることができました。
フクウェ・ザウォセの長女、ターブ。ツアー車の前にて。
クラブでは「カンボジアのレイ・チャールズ」と謳われる(こういう、ドコソコのダレダレという表現はどうかと思うが)、コン・ネイ氏の演奏をはからずも聴くことができ、非常に得した気分。
ネックの長いニ本弦の楽器(名前を失念した)のパーカッシブな音にじんわりとした歌声がのる。
チビテはタンザニアの彼らの村、バガモヨと気分的に変わることなく、いつものショーをかっちりとこなしていました。
狭いステージにマイクがずらりとならんでいるので動きにくそうでしたが。
いきなり「マンゴー!」と抱きつかれ、顔を見るとザンジバルで出会ったタンザニア人の友人、ローズがいて(ロンドン在住とは知らなかった)驚いたりと、楽しい夜でした。
以前、東京でのライブを企画してくれた一人、現在はロンドンで働くアリッサ女史をホールでの公演に誘いました。
この日は映画の上映とライブがセットになっていています。
通しで見るのはこれがはじめてです。
フクウェ・ザウォセのWOMADでの素晴らしい演奏シーンを挟みながら、そのサクセス・ストーリーを描き、彼や甥のチャールズの死による喪失感から抜け殻のようになってしまったチビテが再びスタートを切るまでが、実にうまく捉えられていました。
続いてのチビテの演奏は、会場の音響のよさを利用して音響設備なしで行われました。
彼らも、動きを制限するマイクやスタンド類がないのでやりやすそうです。
観客ののりもよく、ステージ上の演者との間でいいフィード・バックが起こっていました。
アリッサ女史もそうとう感銘を受けたようで、また東京の仲間を通じて話を広めてくれるとのこと。
打ち上げでは、フクウェのもとで同時期に修行した、ケイティーちゃんに7年ぶりに会うことができました。
リンバを使った音楽療法を始めるなど、ぼくとはかなり路線が違うものの、同窓生の活躍がうれしかった。
去年共演したKONONO No.1のライブにもローズやアリッサ女史を誘って見に行きました。
ビョークのアルバムに参加したりと今年も話題のコノノですが。ビリビリと感電しそうな電気リケンベの
グルーブには変わりはありませんでした。
しかし、フランス語圏(コンゴ民主共和国)の彼らは、それが唯一知っている外国語なのか、それともリハ中に日本人(ぼく)が顔を出したためのサービスなのか、演奏中の掛け声として、
「オードリマショ、オドリマショ!(踊りましょう、踊りましょう!)」
「アリガト、アリガト!」
を連発していました。
新しいライブ盤まもなく日本で発売されるのでお楽しみに!
ほかの日は、ロンドンの移民エリアを探索したりCDを探したり。
移民街の中では、インドのパンジャブ州からの移民が多い「リトル・パンジャブ」とも呼ばれるサウホールが特に楽しかった。
パンジャブの音楽、バングラがロンドンのクラブで化学反応を起こして生まれた「バングラ・ビート」発祥の地と言われています。
建物は赤レンガでいかにもロンドン的なままなのに、町並みも歩いている人もインドとしかいいようがない。
バザール的なスーパー・マーケットでは香辛料が山積みになって売られ、となりの料理屋では物価高(日本円から換算すると)のロンドンにあって格安でビリヤニなどが食べられる。
やたらと多いCD屋は軒並み最新のバングラ・ビートを流し、楽器やにはドールをメインにシタールやタブラが売られています。
問題もいろいろあるのでしょうが、移民を積極的に受け入れている国というのはいろんなミクスチャーが自然発生していてとてもおもしろいです。
ロンドン市内のアフリカものに強いCDショップ、スターンズでもだいぶCDを買いましたが、何よりの収穫はケニアのバンド、「マルーン・コマンドーズ」の新譜です。
アーカイブ的な編集版にも納められているようなグループなのでとっくに解散しているものと思っていたら、あいかわらずの70年代のオールド・ファッションなリンガラ街道をまっしぐらに進んでいるような音がつまっていて、涙ぐみます。
ぼくのソロ・アルバム'limba train'をヨーロッパで販売してくれているポール・フィッシャーさんや、「3ムスタファ3」のメンバーでアフリカ関係の録音もよく手がけているベン・マンデルソンさん、日本をはじめ世界の文化をヨーロッパで紹介しているプロモーターの柳沢晶子さんにもたいへんお世話になった旅でした。
出発前に、いろいろな方を紹介してくださった、北中さん、オフィス・サンビーニャの田中さん、プランテーションの丸橋さんにも改めて感謝いたします。