2007/07/25(水) 続・95歳の新妻

>2007年7月23日(月)95歳の新妻より続く。

タンザニアのザンジバル島から来日した、ターラブのグループ、「カルチャー・ミュージカル・クラブ」と推定年齢95歳の女性歌手、ビ・キドゥデ。大阪公演を終え次は東京です。

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カルチャー・ミュージカル・クラブの練習風景。今年2月にタンザニア、ザンジバル島ストーンタウンのクラブ・ハウスで撮影。
コンサートがなければ、平日は午後7時から練習をしていて一般公開されてている。


翌日18日。
11時すぎの飛行機で東京へ移動。その50分ほどの飛行時間も推定95歳の新妻、ビ・キドゥデは隣で寝息をたてていた。
羽田からはテレビ番組制作会社の大谷さんもカメラ片手に合流。
前日もらった花束を手にどうどうと歩くビ・キドゥデを追う。
大谷さんはええ感じの笑顔の職人風。アフリカものの番組を多く手がけたという。
ビ・キドゥデやカルチャー来日のドキュメンタリーを撮ろうとしている。

ホテル前で荷物をおろしていると偶然、妹分のちほちゃんがいて驚く。
そういえば職場が近い。
ビ・キドゥデとは前夜に電話でしゃべっていたのでなにやら楽しげに話していた。

この日の夜は、ぼくも毎年ライブや講演などやらせていただいている宮城学院女子大学の富永先生がブリジストン・ホールでターラブについて講演した。
5月のツアーで仙台へ行ったときは先生は学会でお留守だったので久しぶりだ。
オヒネリの渡し方までレクチャーがあった。
そしてカルチャーのメンバーがデモ演奏(ビ・キドゥデはあすにそなえてホテルで休憩中)。
さすがにオヒネリもよく出る。
メンバーとの夕食時、ダブル・ベース担当のマフムードは熱心に日本語のメモをとっている。
黒いアンパンマンと言いたくなるほどニコヤカな彼は大柄で昔はボクサーだった。
現在は反物の商売をしているので、「いらっしゃいませ!」など教えると、目をぎらつかせて書き取る。
ちなみにメンバーのほとんどは昼間は別の仕事をしている。
農家や漁師、ココナッツ取りや官公庁務めなど。

19日。
東京公演本番。
渋谷公会堂から名が変わったCCレモンホール。
メンバーのリハーサル中、ぼくは大谷さんにインタビューされる。
風邪気味で鼻声なので少々気がひけた。

楽屋に戻ったメンバーは大舞台に多少興奮しているようだ。
ビ・キドゥデはあいかわらずで、タバコを片手になにかというと「あたしゃ10歳のときから歌ってんだよ」とのたまう。
まわりは最年長者のいうことなので何べん聞いていようと「はい」「そうだね」「立派なもんだ」と適当な相槌を打っている。

開場。
ロビーは来場者でいっぱいになっている。
織本さんの売るカンガの店やビ・キドゥデやカルチャーはじめターラブ関係のCDを売る店にも早くも人山ができている。
久しぶりの人々にいっぱいお会いできてうれしかった。
トゥバ音楽家の等々力さんは大阪が見られなかったので新幹線に乗ってやってきたのだという。

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東京公演リハーサル風景より。安藤さん提供。うしろの看板はザンジバルのクラブハウスにあるものを模して日本で作ったのだという。見事!

本番。
マカメの聴衆に訴えかけるような歌いっぷりは見事。
「皆さんがあなたを待っていますよ」プランクトンの川島社長から送り出されたビ・キドゥデも大観衆に臆することなく好きな歌を歌いきった。
東京でいつもお世話になっているンゴマ・ジャパニの面々や在日タンザニアンも含め多くの来場者がキドゥンバクではオヒネリを手に腰を振って踊っていた。
アンコールを2度も受け、スタンディング・オベーションでコンサートは終了した。

楽屋には訪れたお客さんに一人一人、ビ・キドゥデはあいさつ。
その間中、手を握られて「こちらはアタシの夫だよ」といちいち紹介してくれるのには参った。
さすがに、それは通訳せず。

終演後、学生時代ターラブの研究していた当時のバンド仲間が
「ターラブにこんなに人が集まるなんてすごいねー」と言っていた。

簡単な打ち上げ後、東京に来たら立ち寄るバー、国境の南にて、たまたま居合わせたコンサート帰りのチュラマナのゲレン大嶋さんやアオラ・コーポレーションの高橋さんに始めて会い、楽しく飲む。

20日。
午後、プランクトンの事務所にて評論家の森田さんや北中さんのメンバーへのインタビューを通訳をする。
その後はホテルでビ・キドゥデの記者会見に途中から潜入。
こちらはドイツ紳士のヴァーナ氏(マネージャー)の英訳を日本語に約すダブル通訳。
ビ・キドゥデは決めせりふ「あたしゃ10歳のときから・・・」を連発するし、話は飛ぶしで、長い彼女の話をヴァーナは苦心して簡潔にしていた。
彼はブッダ・レーベルの「ザンジバラ」シリーズなど多くのターラブのCDを手がけているその道の研究者でもありマニアだ。
「(裸足で暮らしているザンジバルと違い)草履を履いているとツアーに出たって気になるね。あんまり履物はすきじゃないけど。」
という彼女の言葉が残った。

メンバーと別れたあと、タイムリーに発売されたばかりの「ケニアとタンザニアのスワヒリ・ミュージック 1920s〜1950s」をエル・スール・レコーズにて購入。
シティ・ビンティ・サーディの曲が4曲も収録されているのだ。
国境の南へ行くと、うれしいことにまたゲレンさんに会った。
買ったばかりのCDをオーナーの波多野さんにかけてもらう。
カルチャーやイクワニ・サファーなど最近の大編成のターラブと違う、シンプルな編成でシティが「ムホゴ・ワ・ジャゴンベ」を歌っていた。
彼女のメロディーを聞いていると、子どものころそれを聞いて覚えた現在のビ・キドゥデの歌のメロディーとはだいぶ違うことが判った。
音楽にしても文芸にしても、五線譜や文字じゃなくて口承で伝えられるときに起こりうるこういう変化がぼくはとても好きだ。
ムサフィールを招聘したカンバセーションの高橋涼子さんを無理やり呼び出し、ゲレンさんのボトルを飲んでいるうちにプランクトンの井内さんまであらわれ、古いSP音源のターラブを聴きながら泡盛のグラスを重ねる。
島の音楽には島の酒でしょ。
だいぶ酔ってしまった。

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ツアー最終日21日にはメンバーの浅草観光にお供。
ビ・キドゥデはお賽銭を投げてぶつぶつと言っている。
「今回日本のツアーにメンバーとともに来れてとてもよかったです。ありがとうございました。」

仲見世通りでは、カバンや扇子などのお土産をみんなが買っている。
選ぶものがどれも派手。
ぼくがタンザニアを訪れると会う人に「お土産はなに?」と遠慮なしによく訊かれる。
彼らも、故郷のいろんな顔を思い浮かべて選んでいるのだ。
ビ・キドゥデは同居している子ども(彼女が生んだ子どもはいない)が歩き始めたばかりだというので小さな靴を買った。
乾電池で動く子犬をいたく気に入り、これも購入。
店員さんが店の奥から箱に梱包された商品を手渡すと、展示品を指して「このコはほんとにこの中に入っているの?」といぶかしがっていた。
買い物を終え、休憩中のビ・キドゥデは周囲のおばあさんにスワヒリ語を普通にしゃべりかけている。
「シカモー(目上の人にたいするあいさつ)」なんて言っている。
推定95歳の彼女が「シカモー」と口にするのを初めてきいた。
どう見ても年下のおばあさんもなんだかうれしそうだった。

空港でビ・キドゥデは「日本のみなさん、さらば」と大谷さんのカメラに向かって言い、ぼくには「ムメ・ワング(わが夫よ)またね」と残してゲートをくぐり抜けていった。
大阪公演でもらった花束を握り締めて。

ムメ・ワング(わが妻よ)、また日本に来ておくれ。

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※今年2月、ザンジバル島のビ・キドゥデの自宅でサカキマンゴーが行った独占インタビューはこちら

コンサートでも評判だったキドゥンバクのCD(CDR)を東京渋谷のエル・スール・レコーズと大阪心斎橋のプランテーションに密かに卸しました。
枚数限定です。

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