2005/12/25(日) 2005年12月25日(日)電気リケンベ炸裂! 

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今帰仁村の海べりに建つ素敵なゲストハウス・結家(むすびや)での演奏。右は近藤ヒロミ姉貴。
撮影:マナブさん


今月の半ばは沖縄県へ行ってきました。
鹿児島生まれにもかかわらず、となりの県・沖縄へ行くのははじめてのことです。

青い海、温暖な、東南アジア的風土、旅人たちが集い・・・・・・というような前情報ばかりを耳にしていたので、逆に「そんなにすごいもんじゃないだろう」と穿った見方をしていたのですが、いいところですね。

空港に迎えに来てくれた、沖縄在住のムビラ奏者・近藤ヒロミさんが最初につれていってくれたのは、国際通りの近くにある公設市場。
狭い通路の両側に小さな店が売り物をどかーん、どかーんと陳列している。
さばかれた豚(落とした豚の頭にサングラスをかけさせるのが流行っていた)、鮮魚、雑貨、海ブドウ、ソーキそば屋、派手でベタな看板、行き交う地元の人や観光客に「ごはん食べた?」と声をかけてくれる、お店の人々。細い道に入り込むと、どてら専門の店やズロース専門店ばかりが何十軒と並んでいたりする。
バンコクの屋台的雰囲気をたっぷり吸い込みました。

陸路での物流よりも、船を使う方が主流で有利だった時代、海の向こうのアジア諸国からいろんな人がいろんなモノを持っきて、元からのものと混ざって、根付いた。ちゃんぷるーの国です。
摂氏15度を指す温度計の前で「寒い、寒い」といっているヒロミさんがおかしかった。

琉球王朝の史跡、太平洋戦争当時の傷がなまなまと残る南部などをライブの隙間に、見て回りました。

18日、沖縄で最後の演奏は、ヒロミさん率いるバンド・シンディンカと一緒です。会場は7周年を迎えたライブハウス、乱波洞(らっぱどう)。
シンディンカは

 近藤ヒロミ(ムビラ と ピアニカ)
 マサハ(ギター)
 トシ(うた、デジュリドゥー、フエ)
 小嶋さちほ(ベース)
 ダイキ(ドラムス)
 ミツ(バラフォン)

という大所帯です。
もとになっているディンカ ドゥンクの曲のほか、トーマス マプフーモのり、レゲエ、フェラ クティばりのファンク チューンなどを、ゆーっくりと演奏してお客さんといっしょに演奏者もだんだんと高揚してくるようなセッション バンドです。

電気リケンベの高速16ビートの曲(ペンベレ マコスィ詞・曲「デャクトゥメニ」)を一緒にやってもらいました。
ハイ ハットの金属音とキック ドラム、太くてうねるベースが土台を固めてくれるで、歪んだ電気リケンベは遊び放題動きまわれます。
踊るお客さんとうたの掛け合い、長めのセベン(ダンス パート)、ハイ ハット中心だったダイキのドラムスが後半、スネアドラム中心に切り替わると、盛り上がりは最高潮に達しました。
こんなに踊れる曲と「お母さんを大切にしよう!」という歌詞を同居させたマコスィさんは、だだものではありません。

キンシャサでも、電気リケンベはベース リケンベとパーカッションとともに演奏されていました。

かつて、アコースティック リケンベのフレーズをエレキギターに置き換え、当時アフリカ大陸で多いに流行していたキューバのルンバと合わさって、いわゆる「リンガラ音楽」の基ができたといいます。
アコースティック リケンベに手製のピックアップが取り付けられ、大音量を手にした電気リケンベは「リンガラ音楽」と境を侵食し合いながら、どんどん大衆に受け入れられポップス化してきました。
美しいハーモニーときらびやかなギターの旋律をあわせもった強力なダンス音楽・「リンガラ」と異なる点をあげれば、電気リケンベを中心としたアンサンブルは、ときにパチンコ屋さんから漏れ聞こえてくるような渾然一体とした音の塊となる、ということでしょう。
ステージと客席のけじめもなく、皆が汗をかき、「全員が出演者」といわんばかりの祝祭的空間が生まれます。

シンディンカと電気リケンベで共演したときの録音を聴きなおしながら、バンドでどかーんとやりたいなと思いはじめています。

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