2005/04/13(水) 2005年4月13日(水)上海に行ってきました
4月2日から10日まで上海を一人訪れました。ぼくにとっては1996年に初めて訪れた外国の地でもあります。
出発早々、厳戒態勢の関西空港ではリンバをX線に通して、楽器であることを長々と説明することになりましたが、無事に上海に到着。建築途中にある高層マンションのおびただしい群れ、行き交う人々の顔つき、すさまじいエネルギーを感じながら、バスで市内に向かいました。
まず、アジア1高いというテレビ塔・東方明珠塔を望む、外灘でゲリラ=ライブを行いました。中国国内からも多くの人が訪れる大観光地です。
マイクを通さないリンバの小さな音で観客が集まるかなと思っていたら、人が人を呼んで警察までやってくる。楽器に落としていた目線をふっと上げると、人垣が自然につくった半径10mほどの半円の中で演奏していることに気づきました。
日本で路上演奏していたときに稀に感じた奇異なものに対する無視・無関心とは違う、初めて見るモノに対する積極的な好奇心がとても新鮮です。半年勉強した中国語で、たどたどしくタンザニアの楽器であることを説明しました。
上海は、イギリス・フランス・日本などの租界地として大きくなった町です。ぼくはフランス租界にある上海音楽学院の招待所に泊まって、そこを中心に徒歩や地下鉄で市内を毎日うろつきました。朝ご飯に出かけてから夕食まで、ときには翌朝まで、熱病にかかったように。
幹が迷彩色の見慣れない木が沿道を飾る道、古い建物の多い雰囲気のある街角を曲がると、廃墟が広がりその向こうには奇抜なデザインの高層ビル群があらわれます。同じ銘柄のビールの値段が場所によって3元(約40円)から50元(約650円)まで開きがあるくらい、さまざまな生活をしている人が暮らす街をあきることなく見てまわりました。
戦前の建物を残して造られた新天地という地域に、上海で初めてオープンしたライブハウス・ARKがあります。金曜日の夜に演奏させてもらいました。広い会場なので足につけたガラガラにもマイクを向けてもらってリンバの弾き語りです。
おしゃべりを続けるカップルや熱心に聴き入ってくれる人、さまざまな目線を感じながら演奏に次第に集中していきます。足をハゲシク打ち鳴らし、ときに叫ぶように歌って曲を終えると、歓声と拍手をいただきました。興奮した様子の現地の男の子がステージの袖にやってきて、CDとチリンバを買いたいと言ってくれるではありませんか。聞くと、ジェンベ(ギニアの太鼓)をやっていてアフリカの音楽に興味があるんだとか。ジェンベ人気はすごいです。がんばれ、リンバ!
上海市・新天地ARKにて
坦桑尼亜。日本語ではカタカナで音を拾って「タンザニア」と書きますが、中国ではこう書きます。本屋さんで坦桑尼亜の地図を買いました。中国にとって社会主義路線の国同士のつながりも深い国だけに詳しい地図が売られていて、地名が丹念に漢字に直されています。ぼくがよく行くバガモヨは「巴加莫約」、リンバ好きのゴゴ民族が多く住むドドマは「多多馬」です。海を渡って坦桑尼亜で暮らし始めた中国の人のドラマを見るようなこの地図、結構気に入りました。
帰国前に上海駅へ行きました。およそ10年前、この駅の広場で行きかう人の多さと力強さに呆然としたのをよく覚えています。駅の建物も変わったし、人々の雰囲気も変わった、それ以上に自分自身も。
そして、上海は一年に一回くらいは来たい町になりました。
ときには写真家として、ときには通訳として、この旅行を手助けしてくれた、hama-changにお礼をいいます。非常感謝。