2007/03/01(木) アザーンが聞こえる

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ダルエスサラーム。路上の絵師にLimba Train Sound Systemのライブ用看板を作ってもらった。
ちなみにこの彼は別の人。

長編落語を何本か聴いているうちに苦もなくダルエスサラームに到着しました。
これを書いている今もイスラムの祈りの声・アザーンがどこかのスピーカーから聞こえてきます。
きょうもこの町は暑いです。

帰国のフライトまでの数日をボンゴ=フレーバーの追加取材とCDショップをめぐっての音源確保にあてました。
ヒット=チャートをにぎわすAY, SAUTI ZA BUSARA祭でのステージが印象的だったFid Q、あちこちの局で番組をもっているフリーのラジオDJ・John Dillinga(DJJD)氏の三人から話を聞きました。

東アフリカのヒップ=ホップ・ボンゴ=フレーバーが現地でいまやリンガラ音楽をしのぐ人気を得ている理由について三人ともそのメッセージ性について触れています。
決して楽な暮らしをしている訳ではない大半の人たちにとって、自分たちの悩みを同じ目線でラップしてくれるボンゴ=フレーバーには格別な思いが生まれるのでしょう。
深刻な海賊盤問題についてはミュージシャンの権利についての理解が浅く、政府のサポートもほとんどないということです。
CDの売上げでは生活できない国内外でのライブが収入のほとんどなので、ミュージシャン本人がアルバイトするのは当たり前といった感じ。
AYは広告代理店で仕事をしていると言っていました。

市内のラジオ局でDJJD氏にインタビューしている間にも、キャップにタンクトップといった暑いこの国ではきわめて典型的なヒップ=ホップ=ファッションに身を包んだ青年たちがデモ音源を手に売り込みにやってきます。
一人は「がんがんかけてもらって、有名になりたい」と話しました。

UKやオランダなどではボンゴ=フレーバーのアーティストを招聘してコンサートも開かれ始めています。
ぼくも少しずつ紹介していくつもりです。

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カンガ屋にて。

今回の旅には帽子職人でもある弟子のマルちゃん(目下ブギリ村にて熱烈修行中)によるカンガ製のハンチングをかぶっていきましたが、これがタンザニアでは評判になりました。
おしゃれな女の子やDJ、ミュージシャンたちから「どこで買ったの?」と声をかけられ、SAUTI ZA BUSARAではテレビや新聞のカメラをずいぶん向けられました。
マルちゃんは商談めいた話までもちかけられ、レゲエ=シンガーのJhikomanにいたってはインタビュー終了後に「その帽子はアフロ=レゲエの象徴だ」と言ってくれる。
カンガ屋が立ち並ぶダルエスサラームの通りでも当然大人気でした。
眼のするどいインド商人あたりがそのうちに製品化したりして。

あしたのフライトで日本に帰ります。

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マラウィ—タンザニア国境にて空を見上げると............

ダルエスサラームにて記す。

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