2007/02/23(金) マラウィが遠い

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油をとるためのひまわりがたくさん植えられているブギリ村にて。

ブギリ村では故・フクウェ ザウォセが演奏を習い、ともに演奏していたバランガティ氏やフクウェの兄・マルコの子にあたるアモス氏宅などを挨拶して回りました。
雨の多い季節なので緑がみずみずしく(日本の緑と比べたらやっぱり薄いけど)、ムタマやとうもろこしが実をつけ、花には蝶が集まっている。前回来た時と比べると何だか楽園のようになっています。

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ウガリにもされるムタマ。この茎をかつてはリンバのキーに使っていた。

さて、帰国のフライトは3/2、2月は28日まで。ここでのんびりしたいなと思いながらも次の目的を果たさねばなりません。
村には1泊だけしてここまで旅をともにしてきたかっちゃん、まるちゃんらを残し、ひとりマラウィへ向かいます。

朝6時発のバスをブギリ村でつかまえ、国境に近いムベヤへ。ムベヤには当日の夜7時近くと言われていましたが・・・・・

立ち乗りの人を含めて横一列6人が並ぶすし詰め状態は密着している人たちがクッションになって、かえって寝心地がよい。国立公園を横切るので、窓から象やキリンの群れも見られてそれもまた良し。
しかし・・・・・

午後3時ごろ、自分の真下、後輪の辺りから「ガリガリ」とおかしな音がする。周りの人も異変に気付いてざわつき始める。バスはそのまま走り続ける。
車掌は分かってるのか?
ゴムの焼けるような匂い。まさかタイヤが車体に接触しているのでは・・・?

ここで事故っては一大事、と大声をあげバスを止め、点検してもらうと本当にタイヤが接触して削れているらしい。

「工場のあるところまでポレポレ(ゆっくり)走るから、ハクナマタタ(no problem)だ。」

左に車体を傾けたままバスはそれまでと変わらぬスピードで1時間ほど走り続け、ムベヤまで後4時間ほどという町・マフィンガにてやっと修理を始めました。
バスを降りてのぞいて見ると、自分の真下の車軸と車体をつなぐ厚さ30センチほどの金属の骨組みが見事に折れている。もちろん後輪は外周が削れてずたずた。
これは時間がかかると見込み、急いでも意味のないことを思い知らされ、果たして帰国までにマラウィで「カリンバ」を見つけることができるのか心配しながら、乗客たちにリンバを弾いて見せたり、ビールを飲んでみたり。

夕暮れ、ジャッキアップされた車体の下に声をかけると、骨組みのハンダ付け(!)は始まったばかりにもかかわらず、「もうすぐ出発だよ。」の返事。 そこでまた食事をしたり、ケータイをいじってみたり、ⅰ-podで中華ポップスを聴いてみたり。

乗客らは多少文句を言う人もいましたが、概ね諦観している。「まあ、今日中に着けばいいね。」の声も聞かれる。

ところが修理は難航し、車内でうたたねしているうちに・・・明日になった。
結局出発したのは鶏の声を聞く翌朝の6時なのでした。

ムベヤの手前国境への分かれ道で下車した頃には9時。何と14時間もの遅れです。久しぶりにバス旅の妙味を味わいました。

そのままダラダラ(小型バス)に乗り換え、国境へ。タンザニア側のイミグレの係官に声をかけられた。「日本のミュージシャンでしょ。テレビで見たよ。」
先日のSAUTI ZA BUSARAでは記者証をとって取材をしていたので、地元の新聞やテレビのスタッフと話すことが多く、リンバをやっていると言うと逆に取材されたりしていたのでした。

その日のうちにマラウィ北部の町ムズズに近いルンピに到着しました。道中バスの中でスワヒリ語を話す人からトゥンブーカ語を習い、少しずつ「カリンバ」についても情報を集めています。

しかし知らないという人が多い。
「昔見たことがある。」という人もいるので、「カリンバ」という名前の親指ピアノがここに存在しているのは確かなようです。
問題は今も弾く人がいるのか。研究書の50年ほど前の記述のみを頼りにここまで来ました。人としゃべるたびに「カリンバ」を連発しています。

ひとりになって旅のムードが盛り上がってきました。


ルンピにて記す。

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