2007/02/24(土) Who is Mr.Kalimba?

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こんな丘のむこうの、むこうの村までカリンバを探して。

日程が限られているのでインフォーマント(情報提供者)を雇って、カリンバに関わる些細な情報から集めています。
21日、その間に界隈では一番大きな町・ムズズの博物館を訪れました。

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thumb piano kalimba の表記とともに30年ほど前にムズィンバ地区で採集されたという楽器が展示されています。
ガラスケースの向こうで「眠っている」。

学芸員のトーレ氏によると、トゥンブーカのカリンバは男性が弾く楽器で、自分自身の楽しみや子供たちのための余興として弾かれるとのこと。
もちろん散歩のお供にもなっている楽器ですが、最近はなかなか目にすることがなくなったそうです。

22日、トーレ氏がとりあえず行ってみたら何か見つかるかもしれないよと教えてくれたルンピ地区のムフジュ村へ。
雨の中現場で通訳兼ガイドとして、トーラ青年(トーレ氏ではない)を雇い、情報集めをしていると、通りかかった青年の友人が「カリンバならおれが持ってるよ」と。

他人に聞かせる楽器ではなく個人的な楽器であるがゆえに親しい友人でも持っているということすら知らない。

その彼・カフィカ=ムスィスィヤ氏の家まで泥の道を歩く。
とうもろこしと輸出用のタバコの畑の中を進んで行きました。
ふたりの妻と10人以上の子どもが暮らす彼の家に「起きている」カリンバはありました。

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タンザニア西部マラウィ国境に近いトゥクユで以前見たものとそっくり。
キーの数も7本と、同じ。
この姿勢が楽に弾けていいんだそうです。地面に近い分反響を得て音も多少大きい。

亡くなった人のことを歌った曲をしんみりと聴かせてもらいました。
低くしゃべるような歌声はステージのために発達した音楽とは対極にあるこの種の音楽の象徴のようです。カリンバの奏法も歌の旋律をなぞる程度のもの。シンプルで内に向かっている。

タンザニアの至宝・フクウェ=ザウォセがイリンバを作って、ステージで聴かせる音楽を作り上げたことに
畏敬の念を抱くとともに、カフィカ氏のような一見地味で自分の内面を旅するような音楽を、自分ならステージにどうのせるか考えました。

いずれにせよ、ついにカリンバを見つけました。
カフィカ氏は暇な時にしょっちゅう弾いているそうで、家の中には作りかけの楽器もたくさんありました。
よかったー!

昨日はインフォーマントのひとり、ホテル従業員のブライト君の情報を頼りにボンゴ村とベラ村へ。
ちなみにムフジュ村のトーラ青年もブライト君もぼくが説明するまでカリンバについてどんな楽器かも、
名前すらも知りませんでした。

アフリカ音楽研究者・ゲルハルト=クービックはこの地のカリンバについて、交通網が整備された影響で散歩の供だったこの楽器が減っていった可能性を指摘しています。
しかし忘れ去られるのが早すぎはしないかい?

ブライト君の自転車の荷台に乗ってブンゴ村のラフロードを行く。
道行く人に、
「カリンバを知らないか?」
「カリンバって誰だ?」

ラジオなどが普及し楽しみの主役となってきた現代、カリンバは役割を終えつつあるのか。

有力情報により丘を2つも越えて辿り着いたサトー氏は
「親父が昔弾いてたけど亡くなってから楽器も捨てちゃった。」と語りました。

がっくりもしていられず、ベラ村へ。
「カリンバならカンダウェコじいさんだね。」
といろんな人が教えてくれるので、脈ありと訪れると、彼の楽器はカリンバではなく、トゥクユで見た
キパンゴにそっくりの弦鳴楽器・バンゴでした。
もう地味な楽器同士名前が混同される事態になってしまっている!

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カンダウェコじいさんは洗濯板に弦を7本張っただけのバンゴを調理に毎日使っている鍋の中に入れて音を共鳴させ、
「酒飲んで、何が何だか分からなくなっちゃったー」
というような歌を弾き語りました。

お葬式などの席にも呼ばれることがあり、遺族の悲しみを和らげ楽しませるために演奏するのだそうです。

今日はカンダウェコじいさんの紹介でジラブーラ氏宅へ。
カリンバとバンゴ両方を知っているじいさんの紹介なので確実でした。
今は息子に譲ったというカリンバを弾いてくれました。
こちらは歌なし。

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すぐ近くのカフィカ氏とはまったく違い、カリンバのみでループしたフレーズを作り出していました。

結局今回は2台の「起きている」カリンバに会うことができました。
けど2台ともさわりのためのビーズが外れてなくなったままになっているのが悲しい。

ニャキュサのリンバとの関連性が思った以上大きく、しばらくこの辺りの楽器を調べることになりそうです。
マラウィ湖の東岸のタンザニア領の楽器とも関連がありそうだし。

明日タンザニアに戻ります。


ルンピにて記す。

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