2011/03/04(金) アフリカ・ツアーその7 お祈りタイム

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香辛料屋。自宅でクミンが無くなったばかりだったので、多めに買い込んだ。

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ティンガティンガ調の絵を売る店先にて。

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市場内の肉屋。

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石の街を歩く。

●2/10●
Sukiafricaは今宵サウティ・ザ・ブサラ祭において演奏する。
リハーサルは定刻より1時間ほど遅れて行われた。
開演の16時までにはもうひとバンドのリハをするとかで、とにかく時間がない。
炎天下、黒いステージ表面は、目玉焼きが焼けそうなほど熱い。
ナオミ・マネ、ニコラ・プロが汗だくになってスタッフに指示するも、モニター環境や出音のバランスの調整すら完了せぬまま、タイムアップ。
大量の汗と本番への不安のみが残るリハーサルだったが、これは仕方がない。
全力をつくすのみ。

本番は19時から20時の予定だったが、10分ほどおしてはじまった。
夕暮れどきから照明が効果的になる夜へと移り変わるいい時間。
満場の観衆である。
下手フロントに立つ私の目の前には知った顔が並んでいる。
この一曲目はチウォニソが歌う、"Vanorapa"。
だが、彼女は別の曲"Kurima"のイントロを弾き始めた。
7人のヤロウ共は顔を見合わせ「止めるなら今だぜ」「どうする?クリマやっちゃう?」「やるしかないっしょ!」とわずか2小節の間に14個の目玉で会話するも、思い出したチウォニソが「プッ」と吹き出すように笑い、さりげなく"Vanorapa"を弾き直し始めた。
曲順をすっかり忘れていたらしい。
これで、リハ終わりから皆が抱えていた変な緊張がほぐれた。
チウォニソはそれを知ってあえて笑わせてくれたんじゃないか、と思うほど有効だった。
リハと比べて、モニター・バランスがすばらしく改善されている。
全員の音のからみ具合をはっきりと楽しみながら8人が音を出している。
客席から届く大きなウネリ状のエネルギーを感じ、それを演奏で増幅してまた客席に返す。
大歓声にスワヒリ語で答える。
実に楽しい。
全員がノリまくって曲を進めて行く。
"Pa Le Choi"の定番、足ガクガク・ダンスも前回の2割増。
バタッと息絶えてみせる瞬間にチウォニソが合掌している映像が、YouTubeに投稿されている。http://www.youtube.com/watch?v=d4niGJiCrLE
最後2曲というところで、舞台袖のニコラ・プロより指示がきた。
ステージでアホになっている私でも彼が焦っているのがわかった。
「ラストの曲をけずってください。」
出演時間はまだ十分にあるはずだ。
なぜ?と、思いながらも、私は"Diakutumeni"を歌いSukiafricaのステージは終了した。
アンコールの声の中で、ザンジバルに住む大学後輩が「マンゴー、サイコー!」と叫んでいる。
その迫力につられたか、まわりの地元の子どもたちまで意味もわからず同じように叫んでいる。
ある意味ここは「ホーム」だなと感じた。
全体として最高のステージだった。

が、いったいなぜ時間が削られたのか釈然としない。
訊けば、20時きっかりからイスラムのお祈りタイムだったのである。
遅れて7時10分から演奏を始める際にスタッフが言い忘れ、ライブ中にあわててニコラ・プロやナオミ・マネに「20時でやめてくれーい」と懇願してきたらしいのだ。
そういえば昔のプログラムには「イスラムのお祈りの時間」とプログラムには書いてあったなあと思い出した。
そんなこんなも含めてサウティ・ザ・ブサラはフレンドリーでとても楽しい音楽祭だ。
来年は2/8〜12。一度お越しを。

いったんホテルに戻り、汗を流した私はすぐに会場に戻った。
見たいステージが今夜は続々とある。
私が演奏するカヤンバの親分のような「カヤンブ」を使うレユニオンのマロヤのグループ
"GROOVE LELE"に、ベナンの老舗"ORCHESTRE POLY RYTHMO DE COTONOU"、カルチャー・ミュージカル・クラブの一員として来日した、ザンジバルの村田英雄ことマカメ・ファキ率いる"SINACHUKI KIDUMBAK"、そしてタンザニアが誇るリンガラ・バンド"MLIMANI PARK ORCHESTRA"。
最後のムリマニ・パークは、「ザンジバラ5 ホット・イン・ダル 1970〜80年代タンザニアのダンス音楽」にも音源が収録されるほどキャリアの長いバンドだ。

昨夜に続いて、そんなに都合良く知人・友人が現れるものかと思われるかもしれないのだが、観衆の海を踊るように泳いでいると、前述したザンジバラ・シリーズでも解説をよく書いているドイツ人のターラブ研究者・バーナを見つけて、ビールのボトルを「カチッ」と合わした。
昨日再会した友人たちにも次々に会い、その都度乾杯する。
「ヨカバンナ!(いい夜だ!)」と鹿児島で言うところだ。

ステージ脇には大型モニターがすえられており、演奏中のミュージシャンの表情などを絶えず映し出している。
画面が切り替わり、客席最前列が写った。
そこにはすっかりゴキゲンさんになって踊る、Sukiafricaドラマー、マサト氏がいた。

客席最後列、PAブースの前付近ではいつのまにかキメキメ・ファッションに身を包んだ、ピーター、エリック、シュシュが、ニコニコしながらもクールに(見えるように)たたずんでいる。

それぞれがタンザニア最後の夜を楽しんでいた。

ホテルへの帰り道、いい具合に酔った私はヤマちゃんと一緒になった(のは覚えている)。
彼は「水飲みてー。どっかで買おうよ。」と訴えた(らしい)。
酔っている私は「そんなんどうでもいい。帰る。」と言ってズンズン歩いた(のだとか)。
深夜空いている店などなく、水を手に入れることができなかった彼は帰宿後、ちょっとためいながらもガブガブと水道の水を飲み、翌朝正しくお腹を壊していた。

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